『九条の会』アピールを支持する岡山県医師・歯科医師の会

「『九条の会』アピールを支持する岡山県医師・歯科医師の会」賛同者のメッセージ集

あ行

荒木 俊江(湯原内科医院)

世界の平和を祈ります。

浅野 太郎(石井医院)

教育基本法改正、労働基準法改正、健康増進法等のファシズムの広がりに反対すること。9条を守る大切な運動だと思います。


池田 敏(岡山大学医学部保健学科教授)

岡山大学の池田と申します。この会の趣旨に賛同して寄せて頂きました。これからがんばって取り組んで行きたいと思います。

石原 廣二郎(歯科医師)

倉敷医療生協の歯科医師をやっています石原といいます。歯医者というのは戦時下においてはほとんど無視される職業で、命の尊厳で医療従事者が立ち上がるという事とは少し次元が違って、私たちの場合は戦時下ではほとんど意味をなさない職業としてずっと歴史的に位置付けられてきた。それからいうと、平和であることを前提にしないと歯科医療は成り立たないということです。何ができるかは別にしても今の日本の状況で言えば国民にとって食べる権利も失っていくという事態はなんとか防ぎたいという思いでできることをやりたいと思います。

梅原  桂(医師)

高度成長期時代に生まれた私ですが、今の憲法改悪の動きには危機感を持っています。もはや戦後ではなく、戦前の時代に入りつつあるのではないかと感じます。何としてでも阻止せねばと思います。数年前、イギリスの英会話学校で、私は「日本国憲法の文章を知っている。とても美しい憲法だ」と言われことを今でも覚えています。日本国憲法は世界にも誇れるものです。世界平和の象徴なのです。

延藤 栄男(帯江脳神経外科外科医院)

戦争をなくしましょう。


岡 表記不可文字「金辺に英」次(岡山大学名誉教授、旭川荘療育センター児童院・院長)

表記不可文字「金辺に英」次と申します。昨年の春岡山大学を退職しまして、今年4月から旭川児童院の院長をいたしております。私は終戦の年には国民学校1年生でした。岡山の空襲、広島の特殊爆弾(原爆)、サイパン島の玉砕等々、田舎の小学一年生として知っておりました。

 東京から私に「9条の会・医療者の会」の呼びかけが届きました折に、呼び掛け人のトップに元東京大学精神科教授の秋元波留夫先生が載っておられました。98歳になられます。私は岡山大学小児神経科大田原教授の門下でありましたので、てんかん学会や日本てんかん協会の役目で、若い時から秋元先生に親しくしていただきました。秋元先生の元に馳せ参じる気持ちで直ちに「9条の会・医療者の会」に賛同の返事を送りました。

 日本の再軍備や9条の問題に対する私の立場は、文化勲章を受けられたロンドン大学数理経済学森嶋通夫教授の考え、「新・新再軍備論」に賛同するものでありまして、軍備に頼らない再軍備論であります。また、大江健三郎に「核時代の想像力」という評論がありますが、私はその「想像力」ということを重要と考えております。イラクの戦争にしても、バクダッドの街へ砲弾を撃ち込むということは、想像力が欠如しているからこそできることだと思います。バクダッドの街には生身の人間が生活している、大切な遺跡が無数にある、そこに爆弾を撃ちこむ指令を平気で行う、命令を出す、これは想像力の欠如ではないか。広島に原爆を投下したのも同じ問題であります。


河野 宏(医師)

河野と申します。湯原先生の一級上の卒業で、国立岩国病院に17年間おりました。そのあと、定年でやめて、水島の川鉄水島病院というところに6年少しおりましたが、今はそこの病院が倉敷リバーサイド病院という名に変わっておりますが、そこへ週2回行っています。

最近、憲法のことは全く勉強していませんでしたので、久しぶりに憲法を読もうと思って、新設なった県立図書館に行きました。そこで先ず驚いたのは「新憲法を改定すべきである」、いや「改定しなくてはならない」という主張の本が多いことです。また、先日、NHKでかなりの視聴者を集めたアジア、特に韓国、中国などとの第二次大戦に関する、所謂、歴史認識の問題を討論する番組を見て驚いたのは、東京裁判を否定し、中国に対する侵略戦争を否定する人が複数いて、堂々と論陣を張っていたことです。一方、憲法九条を見てみますと、自衛隊の違憲性とイラク派遣の違憲性を改めて確信しました。また、九条のみならず、基本的人権など多くの条項の中に格調高い文章を見て、いまさらながら新憲法の良さを再発見しております。

勝村 達喜(川崎医科大学顧問)

川崎医科大学の顧問をしております勝村と申します。2年前まで学長をしておりましたが、2年前にやめまして週2日ほど川崎医科大学の方に勤務しております。私は正直申しまして、昭和19年、20年のあたりは確かに軍国少年でありました。学徒動員で、私、広島の造船所にいまして、朝から晩まで造船の仕事をやらされておりました。上官の勧めで、「もうこういう仕事じゃだめだ。最後の奉公だと思って、今年は海軍兵学校の78期の募集があるから行きなさい」と言われて受験しました。海軍兵学校へ入学したのが昭和20年の3月であります。海兵に入学し、すぐ敗戦ということで、すぐ解散ということになりました。私の兄が松岡先生と同級だったのですが、第六高等学校に入学しておりました。敗戦後、彼も文科ですから、旭川の近くの部隊に入隊し、終戦後帰ってまいりました。偶然同じか一週間ぐらいして、復員して、郷里の三原に帰ってまいりました。兄は昇官することを忌み嫌いまして、ずーと二等兵で過ごしたようでありました。兵学校の生徒は士官の位がありましたので、私に向かって兄が敬礼する訳です。「勝村1等兵、帰りました。」 それからいろんな議論が始まりまして、「おまえはなぜ死に急ごうとするのか、どうして海軍兵学校に行ったんだ」と大激論を。私も腹がたってだいぶ言いかえしたのですが、確かに今から思えばそうだったかなと。私は岡山大学から昭和49年に川崎医科大学に赴任しました。仕事は外科です。特に、心臓血管外科です。どんなに長い時間を要して、一生懸命助けてあげよう。ほとんど寝ないで二十数時間かけて手術したこともあります。しかし、そういう方が亡くなっていく目に何回もあいました。非常に悲しいことであります。ましてや、健康な方がどんな理由があるにしても、自分の意志以外で亡くなるというようなことがこの世にあってはいけないという気がしております。そういう気持ちでこの会に参加しました。

喜多嶋 康一(岡山大学医療技術短期大学部・名誉教授)

喜多嶋と申します。勝村先生と同期です。私は内科の医師で血液学をやっておりまして、特に白血病を専門にやっておりました。同じ専門の方の中に、全国の「9条の会・医療者の会」の呼びかけ人になっておられる長崎大学の朝長万左男先生がおられます。非常に優秀な方で、今も現役で血液学会をリードしておられます。広島、長崎の原爆被爆者の中から多数の白血病患者が発生したことは皆さんよくご承知の通りです。戦後になって180度価値観が転換し、世界にも誇れる憲法ができたことを非常に喜びました。特に9条に関しては、これは最高のものであるという気持ちは最初の頃から変わっておりません。これをもし日本が変えてしまって、再度われわれが価値観を転換せざるをえないということに絶対ならないようにということを切実に感じております。これは細かいイデオロギーの問題ではありませんで、こういう会に一日も早く加わらせて頂かねばと思っておりました。この会の趣旨に心から賛同して呼びかけ人として加えて頂きました。


さ行

里見 和彦(水島協同病院・副院長)

水島協同病院の里見と申します。。私はもちろん戦争を知らないですが、卒業して、研究会で沖縄に行ったときに沖縄戦というのを初めて知りました。それから、家族で広島の原爆記念館に行って戦争の悲惨さを知ったという、そういう世代の人間です。私たちは平和を享受していますが、社会の発展は平和なくして実現しないし、東南アジアがずっと平和だったのは、日米軍事同盟があっても日本の平和憲法がずっと保持されてきたからだというように思っています。世界では、憲法で軍隊を放棄した国が日本とコスタリカの2つで、さらに実際に軍隊がない国が12あるという話を聞いています。スイスでは住民投票か国民投票で軍隊を廃止するという議論も起きたという話も聞いてますし、オランダのハーグでは世界市民会議が開かれて、日本の憲法9条を各国の全ての憲法に盛り込んでいこうという話が出たそうです。やはり憲法9条は21世紀の国際社会へむけた羅針盤じゃないかなと思います。この9条を決してあきらめない、それは日本だけの課題ではなくて世界の、国際社会のともし火を消すことになるので、是非がんばって行きたいなと思っています。

白髭 健朗(岡山内科神経科医院)

我々も終戦の年、小学3年生でした。戦災にもあい、戦争の悲惨さ、むごさを子供ながらに体験しております。9条を守ることが世界の平和の基になると考え、この会に賛同します。

進藤  真(医師)

医療人として命と健康を守るため、憲法の改悪は断固阻止しなければなりません。憲法9条25条は世界の宝です。

杉山 信義(水島協同病院・院長)

水島協同病院で内科をやっています杉山といいます。私は戦後生まれの団塊世代の第一年目ですが、平和というのは医療人として守らなければいけないということを、小さい頃に親からも戦争の悲惨な話を聞かされて感じてきています。そういう話を同じ医師仲間にすると、専守防衛とか、理想の世界に到達するためにはいろんな過程が必要ということで、今の自衛隊を認めるべきだという意見がたくさん出されてきます。しかし、これを認めていくと、結局戦争をしない国からする国になるということだと思います。戦争体験はありませんが、戦争をしたらどんな悲惨なことが起きるのかという事は世界の事情から、私たちは学ぶことができます。この憲法9条2項の削るという動きに対しては、専守防衛を認めていこうという人も含めて大きな輪を広げていくために努力していきたいなと痛感しています。


た行

高久 隆範(歯科医師)

岡山保険医協会の理事をしています_久といいます。私は歯科医ですが、私の恩師は日本大学の名誉教授の森本先生で、全国医療者の会の呼びかけ人をされています。私はこの九条の会について最初からいろんな関わりを持ちたいと思っておりました。私自身はまだ52歳ですので戦争体験とかそういう経験はございませんが、この九条の2項の問題が重要なんだということが言われています。私から申し上げるまでもなく、憲法改正についていろいろなことが言われていましたが、ようやく自民党の起草案の第1次案が出ましたが、その中に「自衛軍を保持する」という事がはっきりを出されました。極めて明快に土俵が明らかなってきました。九条の2項を破棄して自衛軍を保持する事に変えて、日本が海外でアメリカとともに戦争する国になるという事をはっきりと出してきました。これは、自衛隊の存続に賛成する人たちもこれについては賛成しないだろうと思います。

国民の多くは、九条の2項を破棄して自衛軍を保持し、自衛隊が海外に出て戦争をしてもいいんだということには賛成しないだろうと思います。最近のAP通信と共同通信の世論調査では、日本の国民はアメリカの政府に54%の不信感、アメリカの国民は日本の政府に59%の信頼をよせているという結果も出ており、極めて今の状況をはっきりを反映していると思います。この結果は九条の会にとっても極めて良い情報であり、しっかり取り組んでいかなくてはと決意を新たにしています。

高田 超爾 (高田内科)

私は14歳の時、大阪陸軍幼年学校(二年生)で敗戦を迎えました。当時、祖国と天皇のため、喜んで命を捧げるよう教育され、当然と受け取っていました。敗戦で開放されたことに気づくものは誰一人なく、皆大声で泣いたものです。傷ましいことです。今再び財界主導で教育基本法、憲法改正など復古が進み、一方では社会保障、医療制度の崩壊が進んでいますが、皆、麻酔にかかったような状態です。坪井前会長の小泉支持の呪文はまだとけていないのでしょうか?


田中 紀章(岡山大学医学部・教授)

この9条の会の呼びかけがあったとき、私がいろいろ痛切に思いましたことは靖国の問題です。私は立場上中国の留学生の人たちの世話をさせていただいています。だんだんと我々の研究もうまくいって、さらに具体的に中国の大学と共同研究しようとかという話もでています。そういった中に靖国の問題で話がでますと、一時的にでもこれは少しまずいことになったなという雰囲気が漂っています。単に学問だけではなくて技術の交流は不可欠で、いろんな成果が期待できることが、両国の間にどんどん芽生えてきていると思うのですが、日本が戦争を起こして、アジアで1000万人の人間がそのために死んだということについての明確な謝罪と責任の問題がないがしろにされていて、今改めて韓国と中国の若い世代の不信感がつのっておるという実情を見るにつけ、危惧を感じています。9条の問題は単に9条だけの問題ではなくて、日本の戦争に対する責任とアジアの人たちに対する的確な態度というものが迫られている問題だと思いまして、会に参加させていただきました。 

谷口 勝紀(谷口レディースクリニック)

子や孫の世代が戦争がある時代には絶対にしたくない。

田村  甫(医師)

日本国憲法9条を守るためには、日本国をアメリカの州として取り上げようと企んでいる「物取」(ブッシュ)と手を結んでいる現与党の売国奴共を国会から追放する事が先決かと考えます。しかるに日本医師会、岡山県医師会も選挙の都度、その売国奴を推薦するなんて、矛盾していると思いませんかネ。


当真 純二(当真内科医院)

私の母と兄は疎開船津島丸に乗りました。何とか助かりましたが、戦争は困ります。


な行

永瀬 正己(元岡山県医師会長)

今年90歳になる開業医の端くれです。憲法9条の話に変えて、私の戦争体験の話をさせて頂きます。

私も兵隊に行きましたが、3度目の戦地はソロモン群島でした。すでにアメリカがその島へ上がっていて、生きて帰れるとはとうてい思えませんでした。「おまえ行って死んでこいや」と言われて出ていったのを憶えています。何とか生きていて、最後は豪州軍のやっかいになりました。豪州軍には「戦争がすんでから手を挙げてきたよう者は捕虜ではない」と言われて喜んだのですが、実は捕虜以下ということで、「捕虜並みの待遇はしないからそのつもりでおれ」「カロリーの少ない食事であろうと文句を言うな」。マラリアの薬をくれと言いましたら「オーストラリアにはマラリアみたいな病気はないからそういう薬はない」。下士官に物を渡して、薬をくれと言いますと立派な薬をくれるのですが、軍医はそういう薬はないと言うわけです。そういう経験をさせて頂きました。その中で少しにっこりするような話がありました。陸戦隊の大きな集団が一万二千人ほど島に取り残されて、糧食もほとんど補給がつかない、弾も残り少なく、アメリカにやられてこのままその島で死ぬ目前でした。なんとか助けに行こうではないかということをみんなで話し合いました。百隻以上の上陸用出艇を用意して、月の出ていない真っ暗闇の中をなるべく音をたてないようにして、その島まで100Km近いところを真夜中に行きました。島の木陰に船を隠して、一晩過ごして、翌日の晩にまた暗闇の中を一万二千人乗せて帰ってきました。助けられて帰ってきた人たちは、どうせ死ぬと思ってたのを助けられたということで本当に喜びました。無事に内地に帰ったのですが、負けて帰ってきたよう人たちは大変なところに送り込まれるようで、沖縄へ行ってほとんど皆戦死したようです。もう一つの話は、「泳いでおる者は助けるな」という事です。なぜかと言うと、助けるためには船を止めて小さな船を下ろして助けに行かなくてはいけない。それは危ないから泳いでいるものは助けてはいけないと言われていました。小さな船を拾って5、6人なんとか助かって、浮いておりましたがアメリカの魚雷艇に捕まりました。「こちらの船に移って来い」と身振り手振りで言われるのですが、捕虜にはなりたくないので、それぐらいだったら自分を撃てということで覚悟しておりました。ところが魚雷艇の艇長は人数分の水と食料を用意して渡してくれて、「おまえたち、じゃあもうどこへなりと行け」と言われて、帰ってこられたということがあります。アメリカも決して鬼でもなければ、畜生でもないということを証明してくれたように思います。そういうこともありましたが、それ以後孤立した部隊が助かったという例はありませんでした。

戦争を体験した者として、あのような悲惨な戦争は2度と起こしてはいけないと痛感しています。


浪尾 淑子(岡山医療生活協同組合・理事長)

岡山医療生協の理事長をしています浪尾といいます。私も22年生まれですので、戦争そのものは知らないですが、小学校1年のときに広島に母親と旅行しました。まだ、原爆のあとで広島の河原にねじれてしまった瓦とかビンとかが転がっているような時代に育っております。戦争など心配する必要はないという人がいるかもしれませんが、教育基本法なども変わって、戦争をしてもおかしくないような人作りをするとか、新しい歴史を作る教科書っていうのが採用になったりとか世の中がおかしくなっているということをひしひしと感じています。医療生協でも平和がなくては健康が守れない。私たち医療生協も最近ではいつも平和の問題をとりあげて、森住卓さんのイラクの劣化ウラン弾で子どもたちがどんどん癌に侵されて死んでしまっている話、池田香代子さんの憲法の話等々の学習会を一昨年から行っています。このような9条の会に幅広いひとが集まって、多くの人にアピールしていきたいと思います。

児子  卓(医師)

小泉が首相になり、右傾化が著しい。戦前の日本にしたいのだろうが、無益に近隣諸国に挑発行為するは、国の借金を無茶苦茶に増やすは、国会の答弁など詭弁を奔するは、史上最底の首相。ブッシュのご機嫌取り、ブッシュの忠犬で、得意顔のあほと思っています。

は行

尾島 英之(元高梁市医師会長)

高梁の尾島と申します。先だって高梁市で「九条の会」を立ち上げましたが、ただ年をとっているという事で会の代表世話人になっています。我が家は代々クリスチャンでございまして、人の命を大切にするということを最も大事にしてきましたし、特に私は医師ですのでその気持ちを強く持ってきました。「九条の会」をつくって九条の大切さを皆さんに呼びかけてみて、私自身、知識が如何にないか、人を感動させる力がないことを痛切に感じています。

患者さん相手に九条の会に賛同する様に言うのですが、患者さんから「先生、治療しながらそういう事をするのはちょっと都合が悪いじゃないですか」と言われたりしています。

人の命を大切にすることは、医者である以上は当然のことだと思って、そういった批判も受けましたけれどもやっていますが、なかなか賛同してもらえない方もおられますし、心から賛同して頂ける方もおられます。私ももう83歳ですので、気持ちだけは若くもって取り組んでいきたいと思います。

林 英樹(財団法人林精神医学研究所・理事長)

林病院の林と申します。時々尋ねられるのですが、林道倫先生の直系ではございません。病院の中で7月7日に9条の会を作りました。国民の過半数に広げたいと思っていまして、医局の方で賛同させる方はぜひ名前を書いてくださいということで名簿を置いておきましたら、医局に15名おりますが、11名は書いてくれたんで、まず、医局内は過半数がとれたということで安心しております。もう少し広げていきたいと思います。

藤本 亘(川崎医科大学教授)

藤本亘と申します。川崎医大の皮膚科を担当しています。学生時代から加藤周一先生の本をよく読んでいたのですが、昨年加藤先生が「9条の会」を立ち上げられましたので、ちょっと注目していました。昨年の12月に神戸で加藤先生を囲む勉強会があり、そこに出席していろいろと話を聞く機会がありました。私自身は戦後生まれなので、いろいろとを読んで想像することしかできないですが、例えば、自衛ということ一つとっても、あらゆる戦争は最初、仕掛ける方は自衛のためということで始まっています。あのヒトラーでさえもポーランドに侵攻したときは、ポーランドに住んでいるドイツ人を守るために自衛のために我々は戦うと言って侵略を始めたというぐらいなんです。そういうように、戦争するのは常に国家であり、市民である我々が戦争をしようなどと誰も思ってないはずです。それが国家によってじわじわとそっち側に傾いていくということに非常に危機感をもっています。何ができるかわかりませんが、9条の会は医師・歯科医師以外に「岡山県9条の会」があり、そちらの方でも少し入って協力できることはさせていただこうと思っています。想像力に乏しくなっている若い世代がどれ位こういうことを勉強してやっていけるのかはちょっと分かりませんが、何もしないのは問題だと思い参加させていただいています。

ま行

松岡 健一(水島協同病院・名誉院長)

水島協同病院の松岡と申しますが、今はもう名誉職でございまして、看護学校の校長などをしております。私はちょうど19歳で終戦を迎えました。学徒動員で広島に行っていましたので危ないところで被爆するところでしたが、当日岡山に帰省しており、翌日広島に帰って第2次広島被爆を多少受けたくらいでございますが、本当に戦争で被爆したときのあの気持ちを二度と忘れることはできない。そういうことで、この九条の会に参加させて頂きました。

松岡 道也(医師)

一般の人への署名活動等、国民的運動として取りむべき課題だと考えます。


丸山 四郎(丸山歯科医院)

昨今の憲法改正議論には危機感を抱いていました。

守屋 純一郎(守屋内科小児科医院)

倉敷市の守屋でございます。私は昭和20年、第2次世界大戦の終戦の年は小学校3年でして、戦前の教育もある程度うけています。昭和20年当時西宮におりまして、空襲をうけ家は全焼いたしました。1m程前に焼夷弾が何発も落ちました。今思うと死と紙一重だったと思います。よく助かったと思っています。西宮の浜を家族5人で逃げて助かりました。一家全員亡くなった友達もいましたし、両親とも死んで子どもだけ生き残った友達もいました。原爆の悲惨さ、先日もテレビ放送されていたサイパン島の玉砕など。いろんな事をその頃子どもながらに見聞いたしております。こういう悲惨なことが二度と起こらないために、また他国の人を巻き込まないために戦争を放棄したと思います。しかし、60年経った今、小泉さんはA級戦犯を奉ってある靖国参拝を強行し、侵略された他国の人をはじめ、我々の気持ちを逆なでしています。もっと若い戦争を知らない議員は自衛隊を派遣して国際貢献しないと認めてもらえないとか、私から見れば戦争の悲惨さを知らないふざけた考えと危惧いたします。戦争を全く知らない層が多くなって、その悲惨さを知らず、9条改定とか人的貢献とか言っているのを見て、戦争を知っている者がその実体験からその悲惨さを伝えていかないといけないという事をひしひしと感じます。イラクとか北朝鮮の問題にしても、その悲惨な有様を見聞きして、あの様な悲惨な事は絶対さけなければならない、巻き込まれないようにしないといけないと考えますが、戦争を知らない層が増えて、自衛隊派遣とか9条改定とか逆の方向に向かう傾向が強いのを大変危惧しているこの頃です。

三村 宏二(元健寿協同病院・院長)

私はこの春現役を退き、俳句作りに、またその世話役として忙しく過ごしています。平和でこそ、俳句などを楽しんでいられるのだと、常々仲間に言ってきました。俳人9条の会も生まれており、岡山県での俳人9条の会を作りたいと動き始めているところです。医師の会には立派な先生が大勢おられますので、私は俳人の分野を開拓することを中心に頑張りたいと思っています。

牧野 正直(国立療養所邑久光明園・園長)

牧野と申します。国立療養所邑久光明園というハンセン病の療養所で園長をしております。私は高校3年生のときに60年安保、大学をでてしばらくしてから70年安保、こういう世代を体験いたしまして、戦争はよくないなとずっと考えていました。私はもう年齢的に国家公務員も終わりかけていますが、国家公務員は非常に制限があって自分の意思を出すのが難しい立場にあるのですが、もういんじゃないかと思いますし、それに自分の意思をきちっと言っていかないと問題だなと思いますし、何かできることはやるべきだなと強く感じます。そういうことで趣旨に賛同してこの会に入りました。

や行

山代 寛(総合病院落合病院)

医師としてキリスト者のはしくれとして強く賛同いたします。

湯原 淳良(湯原内科医院・院長)

私は昭和33年の岡大の卒業ですが、岡山市内で内科医をやっています。核戦争を防止する医師の会の事務局をしています。9条の会につきましては、全国での「9条の会・医療者の会」というのがありましてそこが「ニュース」を出しています。その中に全国の何人かの先生の話が出ておりますが、長野県の佐久総合病院の若月俊一先生の意見が、たった一行ですが載っています。この先生は私がインターンの時に一年間いろいろ教えていただいた先生で、今はもう93歳ぐらいで耳もあんまり聞こえなくなっていますけど、日本の医者の良心ということでいろんなところに顔を出しておられる尊敬する先生です。「平和は健康の礎、健康は平和の礎」というたった一行ですけど意見を寄せられていますけど、私も同じ意見で、日本は平和協力隊であろうが何であろうが、戦争に参加することはどんな理由であろうともしてはいけないというふうに思って、この9条を、とにかく守ろうということで参加させて頂きました。

吉崎 振起(岡山協立病院・院長)

岡山協立病院の吉崎です。私は戦後生まれですので戦争の実体験はありませんが、少年期には戦争の傷跡がまだ残っていました。子供には怖い暗闇の防空壕、路傍で物乞いする手足を切断した傷痍軍人の痛ましい姿など。特に強烈に記憶に残っているのは、小学生の時に広島の平和記念館で見た火傷で皮膚が垂れ落ちようとしている被爆者の蝋人形です。六十年前の日本です。

先日、フォトジャーナリストの郡山総一郎さんの講演を聴く機会がありました。戦場の瓦礫の中で遊ぶ子供たち、親に手を引かれる子供を見つめる両親を失った孤児、路上で生活するストリートチルドレンなど、貧困やエイズまた戦争の世界の子供をテーマにした講演でした。戦争の犠牲者はいつも何の罪もない国民、特に未来を持った子供たちです。湾岸戦争やイラク戦争で使用された劣化ウラン弾によって、イラクで無脳児など異常出産の増加や小児癌の多発が起きています。長期間続く放射能による国土の汚染、人体への影響です。広島・長崎の被爆者の悲劇をふたたび繰り返しています。

日本の国益を守る、国際貢献を果たすという名目で九条を変え、戦争ができる国に日本はなろうとしています。二度と戦争はしない、九条を必ず守る。皆様方と運動を進めたいと思います。

山吹 隆寛(岡山大学名誉教授)

私は岡大の第一内科、それから昭和42年から津島の岡大の保健管理センター、学生の健康を管理する所におりました。ちょうど40年代は学園紛争が激しかった頃で、岡大の紛争のど真ん中に約10年おりました。この会でありますが、私はこの「9条の会アピール」にはかなり強い関心を持っておりましたが、岡山県の医師の会ができましたので、参加させてもらうことにいたしました。私は今81歳で、かなり足が弱ってまいりまして、あまり活動はできそうにありません。この憲法を守るために自分でできることはないかといろいろ考えましたが、岩波書店から出版されている「憲法9条今こそ旬」と「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」と、どちらも500円ぐらいで、両方で1000円ですが、私の小遣いを使いまして、これを今20部づつ買いまして、私の知人、関心のありそうな人にまず読んでもらえるように贈呈しております。これを約100人ぐらいの方にお送りしてみたらと、そういうことを考えております。それともう一つ、昭和40年代、学生は激しい運動をしましたが、今の学生はまったくものを言わない。非常におとなしい。昔は学生部の職員が振り回されて、ふうふう言っておりましたが、今は学生部の職員は枕を高くして寝ている。何事があっても学生からのアピールは一つもない。特に、男子学生の無力さは非常に激しいですね。大学の保健管理センターに来るのも、女の子に連れられてくる男の子が多い。そして男の子が黙っていて女の子の方がこの子はここが悪いんだと説明する。そういう傾向があります。それでこのような学生にもこれを読ませたい。私は津島本町におりますので、回りは岡大の学生がアパートにたくさん入っております。彼らにもこれを勧めていきたいと、こういうことを考えております。今後よろしくご指導いただけますようお願いいたします。

わ行

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